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代表 天堀恵太(あまほりけいた)

158代表 天堀恵太(アマホリケイタ)
2.保有資格:国家資格・柔道整復師、鍼師、灸師、日本痩身医学協会認定セラピスト、
3.業界歴ORセラピスト経歴:施術歴17年、総臨床数10万人
5.趣味・特技:ウォーキング、読書、カフェ、旅行、空手二段、柔道初段
6.得意なアドバイス内容:論理的になぜ今このようになっているのかを説明させていただきます。絵も得意なので女性の方にもわかりやすく説明します。
8.健康のために行っていること:ウォーキング、無添加の食事、地産地消
9.お客様へメッセージ:

この道をえらぶまで私は、和泉市の横山村で長男として生まれました。幼い頃の思い出は病室の天井を眺めながら…続きを読む▼

この道を選ぶまで 

私は、和泉市の横山村で長男として生まれました。

幼い頃の思い出は病室の天井を眺めながら点滴を受けていることというくらい病弱でした。保育園や小学低学年は、しょっちゅう休んでいました。そんな私を5歳より両親が空手に通わせてくれました。強く育って欲しいという想いがあったのだと思います。

小学校5年生の頃には一日も休まず学校へ行けるようになり、空手も勝てるようになりました。あまり褒められた記憶はないのですが、休まず学校に行けたことだけは、とても褒められた記憶があります。

中学生では空手道場に通いながらを、父親がしていたという理由で卓球部に入り、塾で勉強する毎日を送っていました。この頃は、努力をしたという感覚は一切なく、ただただ毎日が楽しかったです。空手では試合に出れば優勝、卓球では市の代表に選ばれ、勉強は学年5番以内くらいと、正直何もかもが「できた」という感覚です。私の全盛期ですかね(笑)。

高校ではモテそうという理由でサッカー部に入ろうとしましたが、柔道部の先生の勧誘を受け、柔道部に入りました。

1ヶ月で初段を取り、最初のテストも学年で2番の成績で、ちょろいもんだと何もかも舐めていました。

しかし、柔道は3年間努力しましたが鳴かず飛ばず、勉強も中学生の延長で3年生になって勉強すればよいだろうと一夜漬けで過ごしていたため、全くついていけなくなっていました。大学受験にも失敗し、人生で思い通りにならないこともあるのだと、初めて挫折しました。 

自分はじっと同じことをすることが苦手だったのと、スポーツを分析することが好きだったことで、父親と同じ柔道整復師の専門学校に進むことにしました。

小さい頃から、祖母に「お父さんは色んな人を助けてすごいのよ〜」と言われ続けていたことや、実際、夜中にも村の人が怪我をしたら家に来ていて感謝されていたので、憧れはあったのだと思います。

開業の決断

整骨院で働きながら、昼休みに専門学校に通う生活で、学んだことがそのまま実践に活かされるすごく楽しい日々でした。

自分は「頑張っている」時はうまくいかず、「楽しんでいる」時がうまくいっているのだなと今、この文章を書きながら思いました。

整骨院では、骨折や脱臼、打撲といった怪我をたくさん診させていただき、整復や応急処置を学びました。体の触り方や、ほぐし方を学び、あの当時は1日40〜50人を担当させていただき、手の感覚が鍛えられていたと思います。

休むと手の感覚が戻るので休日が嫌だったのを覚えています。

しかし、脊柱管狭窄症や変形性膝関節症といった慢性疾患の患者様に対しては、改善することができず、そしてその答えは、当時の院長先生も持っていませんでした。というより整骨院なので、怪我を診て、筋肉を調整することが仕事と割り切っている感じでした。自分の領域を大事にされており、病院との連携や患者様との関係性も非常に良かったと思います。

私は、割り切れず、やっぱり困っている人を治したいと、鍼灸の道へ進みました。

同じように、違う鍼灸整骨院で働きながら、昼休みに専門学校に通う生活でした。勤め先や学校では、鍼灸を西洋医学の補完的な役割で使用し、思い描いていた東洋医学的な治療を学ぶことはできませんでした。

柔整や鍼灸のような代替医療は、こんなものなのかと思いかけていました。

そんな時、自分の施術家としての軸になる考えを教えてくれた師匠と出会います。従業員やスタッフとしての教える関係ではなく、医療人として施術家として生き方を見せていただきました。

本当の勉強はこうするのか、人を診るっていうのはこうするのか、施術家としての仕事を選ぶというのはこういう覚悟なのかと、本当に様々なこと教えてくれました。

毎月、四国のお寺にお接待という形で来訪者を施術させていただき、人と人との関わり、自分の役割をたくさん学びました。

「いつ自分でするんだ?もう開業した方がいい」と背中を押され、24歳の時に独立を決め、「経営」の「け」の字も知らないまま開業しました。

振り返ってもよく今まで続いているなと思います。

開業してから

開業してからは、バイオメカニクスという運動力学に出会い、人間の体の使い方が診れるようになりました。ここで、慢性疾患を具体的に改善していく方法が明確に完成しました。

当初は「困っている人を助ける」という想いだけで突っ走っていましたが、そのためにどうすればいいかを支えてくれる仲間ができ、「関わっていく全ての人と佳い笑顔に」の理念を体現する取り組みができてきました。

そして、2023年、自分をこの世界に導いてくれた父親が亡くなりました。

褒められたくて、認められたくて、そして心の支えとなってくれていた存在がいなくなり、人に決めてもらっていた人生を、自分の人生にして生きていこうと覚悟するようになりました。

西洋医学、東洋医学の両方の考え方を学び、何万人の患者様と関わってきた中で今思うのは、施術はきっかけの一つに過ぎないということです。

一人一人に「想い」があり、それを表現するために「体」があり、私たちとの関わりの入り口が「症状が出た体」だと考えております。

「体」という入口から、患者様の人生を整えるお手伝いをすることが、私の役割だと思っております。

一人一人としっかりと向き合い、苦楽を受け止め、命を込めて関わっていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

代表 天堀恵太 2024.1.1

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受付スタッフ

164濵田 敬子(はまだ けいこ)

・この仕事を選んだ理由
スタッフとして患者様と接してみたかったので。

・仕事のやりがい
来て下さった人が、笑顔で帰って行くのを見る時。

・患者様に一言
末永くよろしくお願いします。

 157

髙田 真弓(たかだまゆみ)

 

・この仕事を選んだ理由 

人と接する仕事がしたかったので。

 

・仕事のやりがい    

たくさんの方と接することが出来る事。

 

・患者様に一言     

 少しでも患者様のお役に立てるよう頑張ります。

 よろしくお願い致します。 

152

 

福岡美波(ふくおかみなみ)

・この仕事を選んだ理由

今までと違うお仕事を経験したかった

・仕事のやりがい

たくさんの人と関わって、色々なお話しを聞けること               

・患者様に一言 

会話一つ一つを大切に、笑顔で頑張ります

よろしくお願いします。

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 経営理念

「関わっていく全ての人と佳い笑顔に」

コンセプト

アジャスト ライフ

 

 

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